2021年9月28日

すこし昔、櫻井くんは遠い未来の話をよくする人だった。

 

「豊かな老後を送りたい」「隣には奥さんがいて、孫や子どもが遊びに来るんです」
そう言って笑っていたことをよく覚えている。

 

私は小さい頃から櫻井くんしか知らなかったからアイドルは皆こういうことを公言するものなのかと思っていたけれど、どうやらそうではないらしい。幼いころからの自らの境遇を「異邦人だった」と表現し、アイドル活動の傍らに送った学生生活を大切にしている櫻井くんは、ひときわ「普通」の幸せへの憧れを抱いていたのだ。

 

その頃の私は、櫻井くんの価値を自分の中に取り込んで生きていた。自分の真ん中に櫻井くんに貰ったものを据えて、常に「櫻井くんみたいな大人になりたい、同じようになりたい」と喚いていた。悩める思春期の少女にとって、ステージの上でキラキラ輝いて四人の隣で豪快に笑う櫻井くんと、その四人との奇跡みたいな関係性だけが生きる為の栄養素で、希望だった。

 

だから、彼が「普通の幸せ」を望むことは、彼自身のそれまでの選択や、私の大好きなアイドルの櫻井くんを否定する行為だと思っていた。雑誌を読んでいて「これまでの選択が本当によかったのか今はまだ分からない」「自分をアイドルだと思ったことはありません」なんて言葉を発見した日には、それはそれは打ちひしがれた。だって、普通の幸せを手に入れた世界の櫻井くんは、私の知らない櫻井くんじゃないか。そこに私はいない。そんな怖いことはないから、ずっとここにいて欲しい、ステージで命を燃やすアイドルでいて欲しい。

 

 

 

このときの私のままでは、きっと今回の報告を穏やかには迎えられなかっただろう。

 

 

 

いつからか彼は、遠い未来の話をしなくなった。

代わりに増えたのは「自分の仕事にとって結婚はリスク」「家族には自分が背負った十字架を背負わせる」「一人の時間の良さに気付いた」なんていう言葉たち。

 

そんな言葉の数々を聞くたびに、あ~、私の幸せは彼の犠牲の上に成り立っていたんだ、なんてぼんやり思った。私の願いが、櫻井くんが望む未来を奪ってしまったのかもしれないな。でも、「結婚」というワードにいまいちピンとこない顔に安心もした。なんだ、この先もアイドルでいてくれそうじゃん。

 

 

 

2019年1月27日

嵐は活動休止を発表した。

この発表を境に、櫻井翔さんへの解釈や彼に対するスタンスが多少なりとも揺らいだ櫻井くんのオタクは多いのではないだろうか。この時既に10年選手だった私も例に漏れず、発表以前の櫻井くんを鮮明に思い出すのは難しい。

 

まずなんというか、櫻井くんは全然大丈夫そうじゃなかったのだ。

 

例えばいつも真っ直ぐ前を見据えているはずの瞳は宙を泳いでいて、大きいはずの背中は少しだけ小さくなったように見えた。歌っている時も、顔は笑ってるのに泣いてるみたいだった。「この人嵐と心中でもするんか?」と本気で疑ってしまうくらいに。

 

どうやら、彼は私が思っていたほど強い人間ではない。強がりな所があるのは知っていた。でもそれを差し引いてもジャラジャラおつりが出るくらいには強い人だと信じて疑っていなかったから、この事実は結構こたえた。

 

同時に芽生えたのが、罪の意識とこれまでにあまり感じたことのない愛しさだ。まず、普通を渇望する彼が今をおざなりにしていることを少しでも疑ったあの頃の自分がとても恥ずかしくなった。彼の嵐への思いは予想よりも遙かに深くて、重かったから。

そして、そんな櫻井くんを心から愛しく思った。私とおんなじ気持ちだったんだね、なんて言いながら。

 

それからもう一つ、彼は思いをストレートに言葉に乗せるようになった。

それまでだって沢山の言葉をもらっていたけど、発表後の櫻井くんは、その比にならないくらい、こちらが恥ずかしくなるくらいに惜しげも無い愛を全部全部言葉にしてくれた。2年間、彼の言葉たちにどれだけ救われただろう。櫻井くんの言葉に縋ることでしか息ができなくなった私は、スケジュール帳を開いて全てのブログ更新日に「救済」と記していた。

 

そのうち、胸に秘めた寂しさや、叶えられそうにない願いすらこぼしてくれるようになった櫻井くんを見て、私はだんだん怖くなった。もうすぐ櫻井くんの夢が奪われてしまう。生き急いで灰にでもなろうとしている彼は、その後どうなってしまうんだろう。大切な居場所を失った後、ひとりだったらどうしよう。

 

そんな時、めっきり未来の幸せの話をしなくなった櫻井くんを思い出した。

そりゃあ年齢を重ねてリアルな話をしにくくなるとか、心境の変化とか、色々他の要因もあるに違いない。でも、その時の彼は見るからに自分の幸せより他人の、私達の幸せを優先しているように見えた。それどころか、自分の幸せがここにしかないと思い込んでしまっているのではないか。そんなはずはないのに。おこがましくもそう考えた私は、嵐と私達のことしか考えていない櫻井くんの言葉に縋っておきながら、自分の幸せも優先して欲しい、なんて矛盾だらけの感情を抱いて泣いていた。

 

なんともわがままな話ではあるが、今思えば、中学生の頃の私は遠い未来について語る櫻井くんを誇らしくも感じていたのだと思う。「アイドルでありながら自分の幸せも諦めないでいてくれる自担、強い!ヨッ!これでこそ私の愛する男!」みたいな。だからこそ、それを手にする未来を諦めてしまったのではないかと思うと、心がおかしくなりそうだった。

 

 

 

2021年9月15日

嵐が活動を休止をしてから、私は櫻井くんが休止を前向きに捉えられるようなきっかけが訪れることを祈り続けていた。ドラマやオリパラといった大きなお仕事が立て続く中で「意味」を見つけられたらいいな、と。結婚も、一つのきっかけになり得るかもしれないなって。幸せは人それぞれだけど、それで彼が明日を明るく生きるための糧が増えるなら、私も多分嬉しい。

 

だから、嵐の22回目のお誕生日にオトノハで新しい夢を教えてくれたこと、本当に嬉しかったよ。

 

 

 

2021年9月28日

大好きな櫻井翔くんへ

 

私はあなたから数え切れない程の幸せを貰いました。幸せだけじゃないね。人生の軸と呼べるような価値観も、色んなことに挑戦するきっかけも、全部櫻井くんに貰ったものです。いっぱいいっぱい、言葉を尽して大事にしてくれてありがとう。特にこの2年は、自分の気持ちより私たちの気持ちを優先してくれた瞬間が数え切れない程あったと思う、本当にありがとう。でもそのおかげで私はこれから一人でも生きていけそうなので、どうかご心配なく。

 

数え切れない程の人を幸せにしてくれた櫻井くんに、人に与えた幸せ以上のものが還ってくるのは当然ですね。

 

私は

あなたの大きな選択を見届けられたことが。

あなたが自分の幸せを大切にしてくれることが。

あなたが明日を頑張る糧が増えたことが。

あなたにとっての幸せを共に喜べることが。

心から、本当に嬉しいです。

 

結婚おめでとう。

 

コメントの文面や丁寧に書いたことが伝わる署名が櫻井くんらしくて、泣きながら笑っちゃったよ。

この先もずっと、笑っていてください。

 

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気が動転していたので、記念にと思ってケーキと一緒に自分の写真も撮ってしまった



2020年10月22日

「結局のところ"夢"だったっつーことかな。」「この景色が見たくて履歴書を送った」「ノリと僅かな憧れ」「(もう一度嵐に)なると思いますよ」


これは、私が大切に抱きしめながら生きている言葉達。櫻井くんが、自分で選択してきた過去を、心の底からそう思っているんだと私達にも伝わるような柔らかい表情で、あるいは少しの気恥ずかしさが滲み出る言葉で肯定してくれる度に、私は救われてきました。


私は今までずっと櫻井くんのことを「本来この道で生きるはずではなかった人」だと思っていました。実際に事務所を辞めようとしていた、居るべき場所へと帰るはずだった17歳の秋。当時をリアルタイムでは知らないけれど、彼があの若さでこの道を選ぶことによって閉ざされた道があまりにも多かったことは容易に想像できます。21歳、御学友がスーツに身を包み始めた頃だってそう。


だから時々、櫻井くんが選ばなかった分去れのもう一方のその先にあった未来がどうしようもなく気になって、本人がどう思ってるのか勘繰って、勝手に苦しくなることもありました。ネクタイを締めた姿がフィーチャーされるだけで少しの不安に襲われたりもしました。きっと私が子供だったのでしょう。何万もの大衆の中「ステージ上終身雇用」と歌い上げた彼の覚悟に対してとても失礼だったなと反省しています。でも確かに不安だった。


だけど最近、櫻井くんにとってアイドルは天職だなあと思うことがあります。偶像として生きるにはあまりに素直で人間的な人。今までそんな風に思ったことなんて殆どなかったのに。寧ろそういう所も好きだけれど、だからこそ。


宇宙で一番可愛いお顔、3メートルは下らない長い脚、聴くと溶けそうになる甘い声、心の底から音楽を楽しむ姿、愛嬌、思慮深さ、懐の深さ、人に対する愛情。そして何より、自分の思いを自分の言葉で伝えることに対する強い拘り。


自分で選んだ道、「向いていなかったなんて言わせない」という気概と、必死になって積み重ねた「後悔しないための努力」がそうさせた、あくまでも結果論であると分かってはいますが。それでもこんな風に思えるのは嬉しくて。彼が少しずつ「これで良かった」を積み重ねて来たのだという事実があまりにも愛しくて。


櫻井くんの歌声、ステージで踊る姿、パフォーマンス中も常にどこか"こちら側"に意識を飛ばしてくれているような姿や、私たちのことを"いつも見てくれている"所、それに四人の隣で目を細める姿が。本当に大切で、涙が出るほど好きです。彼が「アイドルであること」は、本人にとっては些細なことかもしれません。でも私にとってはあまりにも重要だから。私の中にあった小さなかたまりを自分なりに消化できるようになるまで彼の生き様を見続けられて、言葉を追いかけ続けて来て本当に良かったなあ。


櫻井翔くん、25年というあまりにも長い時間、アイドルとして生きる選択をし続けてくれてありがとう。ステージに立ち続けてくれてありがとう。色んなものを背負って、守って、愛してくれて、言葉を尽くしてくれて本当にありがとう。今、私の周りは櫻井くんと出会ったおかげで手に入れることができた宝物で溢れています。


出来るなら、もう一度ペンライトの海を、あるいは、一度も叶わなかった、あなたを祝って真っ赤に染まる客席を。見せてあげたかったな。一緒に見たかったな。…そう思わない日はないけれど。この状況の中でもできることの最大限を追求して、目まぐるしいスピード感で日本中に元気と笑顔を届けてくれている嵐は、それを使命だと言った櫻井くんはまさしくアイドル、私たちの光です。ごめんねなんて言えないよ、ありがとう。


人生是一方通行。そう言ってあなたがまっすぐ見据える先を、夢を、少しでも長く一緒に見ていたい。一方で、エゴだと言われればそれまでだけど、あなたの心からの笑顔と幸せを願って、そしてそれを一緒に喜びたい。そんな風に思っています。


改めて、入所25周年。心からの感謝と祝福を。

博打と銘打ったその人生が、どうか大満足のいくものになりますように。